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我が家の黒柴ちゃんです♪

父の葬儀も終わって(私の鬱の原因も書きました)

私の人生色々ありました

 

ほんの少しだけ落ち着きました。

5月3日に危篤になり家族が集まり、家族でずっと見守り祈りました。

「死なないで!お願いだから死なないで!」って私は泣き叫び続けました。

しかし祈りも虚しく父はあの世へ旅立ちました。

5月4日が通夜で5月5日が告別式でした。

 

満90歳でした。

普通90歳まで生きたのなら もう十分じゃない。

子供としても後悔なんて無いんじゃないの?なんて思われるでしょう。

でも 違うんです。

私はお父さん子の一人っ子、本当に父が大好きでした。

でも父が大嫌いになり 何年も父を放っておきました…後悔だらけです。

 

亡くなった母と私の間には本当に色々ありました。

私は普通の一人っ子以上の過干渉で育ちました。

母は自分の娘を 自分の思った通りに育てようとしました。

私には 自由というものがありませんでした。

かと言って 命がけで一生懸命育ててくれた事も確かでした。

本当に一生懸命に育て過ぎて 

自分の言いなりにならないから腹が立ったのでしょう。

 

しかし 私もひとりの人間です。自分の意思もあるため

毎日 何度も母に強制されると、さすがに私も母と喧嘩をする様になり、

自分の家なのに地獄にいる様な毎日でした。

私も母の様に夕飯が作りたかった。でも叱られました。

あなたは勉強さえしていればいい!台所なんて入るな!って。

友達から来た私宛の手紙は 全て封を開けられて 

母が読んで隠してありました。

私が それを見つけた時には言葉もでませんでした。

行き過ぎの過干渉です。

 

結婚したら 母と離れる事ができると思ったら本当に嬉しかったです。

でも違いました。 私が結婚してからもずっと その過干渉は続きました。

母の言う事をきかないと 相変わらず 罵倒され脅迫され 

私という人格も全て否定され大きく傷つく毎日でした。

結婚した当初は料理が下手でした。

「主婦のくせに料理もできないなんて最低!」だと言われました。

結婚前に料理はするな!って自分の言った言葉は全部忘れている母です。

 

人を傷つけたり罵倒した人って、言った言葉すら忘れるんですね!

でも傷つけられ続けた方は一生傷になって残るのを知らないんだ!

って思いました。

 

だけど 私はどれだけ酷くののしられようと 

母を嫌いになる事はなかったのです。

何故か分からないけど 母は私の絶対的存在であり

母に認められたいという気持ちが どこかにあったからだと思います。

だから 母と喧嘩した後は どうして分かってくれないのかと悔し泣きしてました。

 

でも もう自分の精神状態が限界だと感じたため ある日

私が母に「今まで どれだけ傷ついたか分からないから お願いだから

     私に一言でいいから謝って欲しい」と言いました。

すると 母は 怒り狂ったようになって

「親に謝れ!とはなんという娘だ」と言われ、

その後に ここに文章では書けない程の 恐ろしい言葉の数々を浴びました。

その言葉を聞いてから 身体中の毛が逆立つ様な恐怖で震えが来て

私は二度と立ち直れない言葉を言われてしまったのでした。

その心の傷は 口では現せない状態でした。

それからは恐ろしくて恐ろしくて 出かける事も カーテンを開ける事も

出来ず 毎日毎日 恐怖で泣いてました。

 

結局 母とはそれ以後亡くなる直前まで私は会う事ができませんでした。

でも その一部始終を見ていたはずの父は

一度も母を止めようとしなかったので  母が亡くなってから

私は 父を攻め 恨む様になりました。

あれだけ大好きだった父が 大嫌いになりました。

鬱が治るまで 10年近く 母と父を恨み続けました。

外が明るい時間は 出かける事すらできず

言葉の恐怖で 死ぬことばかり考えていた10年間でした。

咳が24時間ずっと止まる事のない日々も2年間続きました。

家族以外の人と話すと3~4日は寝込みました。

 

何故 母は自分の娘なのに 

二度と立ち直れない様な酷い事を言ったのか?

何故自分の娘をここまで傷つけるのか?理解できませんでした。

でも 昔 母が言っていた言葉を思い出したのです。

母は、私と喧嘩すると私が一番傷つく言葉は何か?と考えて

これなら きっとものすごく傷つくだろう!という言葉を探して言った。

と 私が泣いている時に言っていたのを思い出したのです。

 

そして鬱になってから何軒か変わった中の1人のお医者さんが

お母さんは 自分で産んだ子供は自分の所有物なのだから

何を言っても 何をしても どれだけ傷つけてもいい!と勘違いして

私を育てたのだ。と言われました。

それを聞いて やっと納得できました。

私が言うことを聞かないと罵倒された理由が理解できたのでした。

そして その先生に薬をもらって飲むようになったら 嘘のように

薄皮をめくるが如く 鬱が治る方向に進んでいったのでした。

ほぼ治った頃に黒柴ちゃんを飼い始め 今では完治したと思っています。

 

もうこれで ようやく父にも会う事ができると思ったら、

父はヨボヨボのボロボロになっていました。

いつも元気でシャキシャキで仕事人間だった父が

本当に哀れな姿になってました。

 

母のいなくなった誰も居ない家で10年間

ひとりぼっちで 寂しく暮らしていたのだろうと思うと

申し訳なくて涙が出ました。

父は仕事一本に夢中で生きた人で 

子育ては母任せだったため口出せなかったと言っていました。

私や息子に会いたかったでしょうに 

本当に申し訳ない気持ちで一杯でした。

 

母も父も私の育て方は 普通ではなかったけれども

一生懸命に育ててくれたのは事実なのだから…・と思い

今では 心から感謝できるまでになっていました。

鬱が完全に治った証拠ですね。

 

それから ヨボヨボになった父を我が家へ引き取り、

一緒に暮らしました。

でも 10年間の一人暮らしは年寄りには かなりきつかった様で

認知症になってしまっていました。

何にもできない私に ただ「ありがとう ありがとう」って

繰り返してくれました。

2年間一緒に暮らしましたが どんどん認知も進み それでも口癖の様に

私に「ありがとう」っていつも言ってくれました。

父は何も悪くなかったんだ!仕方がなかったんだ!

ただ放置した私を許して欲しい。

ずっとごめんねと思い続けて暮らす毎日でした。

 

その認知も徐々に進み 夫が家での同居は無理だというので

仕方なく 施設に入ってもらいました。

そこで 身体は元気だったのに インフルエンザにかかり

施設の知識不足で 医者も呼ばなかったため 

突然 危篤だと病院から電話があり

インフルエンザで死にかけ 要介護1から要介護5になり 胃ろうという

口からは食べ物が食べる事が出来ない状態になってしましました。

ケアマネの紹介でしたが もっと調べて入れなかった事を

またまた後悔しました。

 

次に胃ろうの人が入れる看護師のいる施設を探していたら

偶然にも 私の家の目の前に 高齢者施設が建ったんです。

聞けば 看護師がいるからもちろん胃ろうの方も入れますよ。

って言われたので 施設完成直後に入所しました。

父は 要介護5でしたが、私の家が目の前のため

部屋から手を振ってくれたり 私も毎日通う事が出来ました。

が、しかし、またまた最悪中の最悪で よくテレビでやるような

酷い高齢者施設でした。

看護師がいると言ったので入所したのに 看護師は突然辞めさせたり

ケアマネは何も仕事しないし、ヘルパーさんも仕事しないし

印鑑は入所者全員の三文判を作って勝手に押印して不正請求してるし

元気な人が入所しても 風呂場で転ばせたりして それが原因で

その人が亡くなったり、部屋から高齢者が出てこれない様に

外から棒で扉が開かない様にして肺炎にさせたり

それはそれは 酷い施設でした。

 

きっとマスコミに言って取り上げてもらったら ビックリする様な施設で

父も、私が救急車を呼ばなかったら あと1分で死んでいましたよと

救急隊員の方に言われた程で殺されかけ寝たきりになってしまいました。

 

なので 今度は1日中看護師さんの居る環境の良い施設を徹底的に探して

やっとの思いで移り そこでは約2年半安全にお世話してもらえました。

しかし そんな寝たきりの状態にしてしまったのは

やっぱり私のせいです。

もっと私が早く父を引き取り

父を 施設に入れなければ もっともっと一緒に暮らせたのにと

後悔ばかりが残りました。

なので 父の亡くなる寸前の時、亡くなった時

「ごめんね!ごめんね!育ててくれてありがとう」と何度も言いました。

100歳まで生きて 孫の結婚式には是非 出席したいと言っていたのに

生きさせてあげられなくて 本当にごめんねという気持ちで一杯です。

 

私は ひとりっ子でも 次男に嫁いだ身ですが

今 父の遺骨が 私の家にあり 毎日父に手を合わせながら

父と話しています。父と話すと自然に涙があふれてきます。

 

人が亡くなるとこんなに忙しい毎日続くとは知りませんでした。

忙しい!悲しい!忙しい!悲しい!の連続です。

もっと元気なまま生きていて欲しかった!これが私の本心です。

 

今は 心から 父と母に生んでくれてありがとう。

育ててくれてありがとう。

という感謝の気持ちが心から言える様になりました。

 

私の様な変わった育てられ方をした人は 少ないかもしれませんが

親子関係がしっくりしていない家庭は、結構あると思います。

親子でトコトン話し合って 心行くまで納得できるまで話せば

実の親子なのだから きっとお互いに理解しあえる気がします。

感情的にならずに 諦めずに何度も何度も話し合って下さい。

そして温和な親子関係を皆様も築かれる事を願っております。

私の様な後悔が残る人生にならないでほしいです。

 

陰気くさい内容になってしまってすみませんでした。

私の生い立ちや鬱になった原因の一部も書かせて頂きました。

他人には言えない事も ブログなら書けるのは不思議です。

読んで頂いて本当にありがとうございました。

 

まだ7日毎の法要や49日の納骨に仏壇屋さん廻りにお墓の整備に

100日法要に初盆に その間の書類の提出や 書類集めに

本当に忙しい日々ですが 書けなくても 読ませて頂きたいと

思っています。よろしくお願い致します。

 

その上 私 GW後 父が亡くなったばかりなのに

大ポカをやってしまって 落ち込んでます。

また それも 時間ができたなら書きたいと思っています。

今後も宜しくお願いします。