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我が家の黒柴ちゃんです♪

2つの心の闇です。長い文章になってしまいました。

前のブログの続きです。

皆様から温かい励ましのコメントやブクマなどを頂いたお陰で、

過去を勇気をだして公開する事にしました。

何度も書いては消し書いては消ししてる内に長くなってしまいました(汗

以前から 私がずっと心の中にかかえている

大きな心の闇です 闇が2つあります。

今でも 書こうとすると心臓がバクバクします(汗)誰にも話した事がないので

 

まずは 何度も「まだ書けません」と書いてきたものです。

      これは最初頃の読者様しかご存知ない事ですが

 

それと 私が鬱になった「直接の原因の言葉です!」

やっと 重い心をこじ開けて書く気になりました^^

      皆様がそんなもん読みたくないわ!とお思いなることでしょう・・・

そんな暗い話 聞きたくないわ!って思われる方は

スルーして下さいませ!

 

 

まずは前置きから←イランと言われそうですが(汗)

何度も書いてきたので かえって母に申し訳ないとは思いますが

 母からの過干渉強制束縛呪縛で育てられてきました。

  

 高校生、大学生の頃 随分 ヒドい親だと思いかなり口答えしました。

以前も書きましたが 私宛の手紙は全て封を切って隠してありました。

それを見つけた時は ショックでしたが、  

そんなのは 普段の母の私への人格否定や

侮辱などに比べたら大した事の無いくらい酷い毎日でした。

真剣に家出をしようと綿密に準備もしてましたが寸前でバレました(汗)

 

高校受験は 私の第一志望が相談もなく 勝手に変えられていました

大学受験は 全て親が願書を取り寄せ 言われるままに受けました。

私の希望大学は受けさせてもらえませんでした。

 

両親の希望通り 私が希望していない大学に入学が決まりました。

家から 電車で3時間くらい 車で5時間くらいかかった大学です。

何故か 大学は親元から離した方が良いという母の考えだったそうです。

        ↑ 過干渉で強制的な束縛する母が選んだ大学!意味が分からない(--;)

なのに 入学以来 毎週日曜日に 両親が私の所へ5時間かけて来ました。

今週も、来週も、次の週も、次の月も4か月間 毎週来ました!

そんな親は 他には誰もいませんでした

      

父は 仕事人間で 地位の高い人でしたが←全然自慢じゃありませんので( 一一)

情けない程 母の言いなりでした。怖い母に逆らえなかったのです

 

やっと 夏休み明けに前期の試験が始まるので 遊ぶ暇が無いため

ようやく 両親が来なくなりました。

 

それから 試験も終わり 落ち着いた頃の10月始めくらいでした。

友達と色々なところへ遊びに行くようにもなり

毎週 日曜日は合コンやら ダンスパーティが催されていました。

       当然 4月からあったのですが…

今まで見た事もない光景や 経験したこともないものばかりでした。

私は 男性とお付き合いをした事なんて一度なく

誘われても どうして良いのかすら分からない世間知らずでした。

 

でも 合コンやダンスパーティは友達と出席してました。

これから 楽しい大学生活が始まるという矢先でした。

 

何か誰かに見られてる!って気がする様になったのです。

身の廻りに変な気配や変化を感じ、郵便物が開けられたり

何故か 私が遊びに行くところ 食事に行くところ 

誰かに つけられてる気がしたんです。

 

そして それから 見た事も会った事も無い男性が

私の行く所や 出かける所 食事に行くところなど

様々な所で出会う様になり どこに出かけるにも後をつけて来るし

本当に 気持ちが悪くなったのです。

 

いわゆる ストーカーだと分かりました。

 

いつの間にか 私とまるで交際していると勘違いしている様でした。

私の前に現れて 突然 

「どうして昨日は出かけなかったんだ!待ってたのに。」

と言われました。

知らない男性に。 約束なんてした事も無い人に。

 

それが どんどん どんどんエスカレートして来たのです。

私の郵便物は全部盗まれました。

私と まるで付き合っているかの様に 話しかけて来ました。

ますます酷くなる異常さに 怖くなったのです。

 

そして ある日 郵便物に カミソリが入ってました。

「自分以外の男と会ったら 必ず殺すから!」と。

 

怖くなり どうしたら良いか分からずにいる時に

ある日 買い物の帰りに 出会ってしまいました。←後をつけていたのでしょう

 

私は 「あなたとなんか付き合った覚えもないのに

    もう こんなことは絶対にやめて欲しい!

    二度と私に付きまとわないで欲しい!顔も見たくない!」

と、かなりかなり強い口調で言ったのです。

すると

その男は  その時に 突然 近くにあった

岩のような 大きな石のような物を手に持ち

それを 私の頭めがけて 殴ろうとしているのが見えたのです。

とっさに殺されると思い、私は「ごめんなさい!」と大声で言いました。

すると 一瞬 手が止まったので

そのすきに 必死で逃げたのでした。死に物狂いで逃げました。

 

本当に 私は殺されると思いました!

あのまま 手が止まらなければ私は殺されていました。

 

死の恐怖で 震える足で走り逃げました。

何とか 相手を振り切り 逃げる事ができました。

でも その後 どうして良いか分からず

 両親に電話で話しました。

 

すると 深夜でしたが 直ぐに両親が車で来てくれて

翌日には 大学の教授に 事情を話し単科大学で1学年の数がスゴク少ないです

また 警察にもすぐに連絡し

誰にも 見つからない様にと 深夜に引っ越しをしました。

 

しかし その深夜の引っ越しの時に 父も気づいてませんでしたが 

真っ暗の中 父の車の中から あの男の顔がハッキリと見えたんです

全身に震えが来ました。

幸い 車の中の私に気付いてなかったので助かりましたが

血の気が引くのを感じました。

 

私をずっと探していたのでしょう。

大学にも 私の居所を尋ねる電話があったと聞かされました。

 

そして 住所が分からないのに 私の実家をつきとめ

でっち上げの文章の チラシを山ほど作って

バラまかれてあったそうです。

 

それから 後期の試験が始まりました。

知人から 試験の帰りに 大学の階段の踊り場に 

スゴイ目つきの鋭い変な男が 何かを後ろ手に持って 

ひとりひとりの顔を 確かめているみたいで 気持ちが悪かった。

誰かを探してるみたいだった。と 聞かされました。

 

それを聞いたら 身体が硬直し心臓が飛び出そうな恐怖を感じました。

まだ1年生だったから 本当にたまたま その教科を選択していなかった。

だから 私は見つからずに済んだのでした。

もしも もしも その科目を選択していたならば・・・

 私は 完全に 殺されていたと確信しました。

 

本当に殺されるという恐怖は 口では言えない恐怖でした。

それからも 何度も 変な男を見たと聞いたり

大学の周りや 実家の周りを 探しているのを聞いたりしました。

 

いつまで 私を探すのを続けていたのかは 分かりません。

長い間-長い間 追いかけられていた気がします。

 

私は それ以後は大学以外は出かける事すらできませんでした。

買い物は全て 友達がしてきてくれました。本当に有難かったです。

そんな状況の中 教授や友達の協力のもと 友達には事情は話しませんでしたが

大学を 無事卒業する事ができました。苦しく辛い大学生活でした。

唯一 沢山友達ができた事だけが救いでした。

 

そして 両親が別の場所に新築して引っ越しをし

以前の住所には 誰も分からない様に引っ越したので

それからは やっと ストーカーの影を感じなくなりましたが・・・

 

毎晩 毎晩 殺される!殺される!と言いながら

逃げまどっている自分が夢の中に居ます。

そして 自分の悲鳴で目が覚めるのです。

汗びっしょりかいています。

その恐怖は 何年経っても 消えませんでした。

 

追いかけられて殺されかける夢は 幸いにして

結婚したら 見なくなりました。

 

ストーカーは絶対に許せません!

私は 何も悪い事をしていません!

何故 私がこんな目にあうのか 今でも理解ができません!

 

両親には 助けてもらったので 大変感謝はしています。

身勝手な育て方をされましたが 愛情も感じました。 

このストーカーの事が一つ目の心の闇です。

 

 

もう一つの心の闇は母の言葉です。

 

母は確かに私に愛情をかけ 一生懸命育ててくれた事は確かです。

母自身も 私を命がけで育てたと 自分で言ってましたし。

ただ愛情のかけ方が だいぶゆがんでいたし、間違っていたのでした。

 

毎日母との喧嘩ばかりで 本当に辛い日々を送ってました。

社会人になっても 門限が夜の8時でした。←母の束縛の愛情でしょうか?

 

ショッピングをした帰りに 母の好きな「焼トウモロコシ」を見つけ

母が喜ぶと思い 買って帰ったら夜の8時を過ぎてしまいました。

すると 鬼の様に怒った母は家のカギ全てを 中からかけてしまい

私が絶対に家に入れない様にしました。

母の好きな「トウモロコシ」を買ったから遅くなったと 私が言うと

帰りが遅くなった原因の

「トウモロコシをゴミ箱に捨てなさい!捨てなければ家にいれない!」

と怒鳴られました。

私は お土産の焼トウモロコシを 泣きながら食べました。

そして捨てたと嘘を言い やっと家に入れてもらいました。

 

私は 社会人で大人なのに母の言うなりだったのです。←小学生扱いです(汗)

どんなに 傷つけられても 母には逆らえず 傷が深まる一方でした。

 

だから 結婚して親の元を離れた時は 

本当に嬉しかったです。

 

でも結婚した時は 東京に住んでいましたので 毎日電話がありました。

             電話を拒絶すると喧嘩になるので断れません(>_<)

転勤で地元に戻り 孫ができたら 毎日毎日 我が家に来るようになり 

私を また 束縛したり 怒ったりで 

結婚してからも 毎日母との喧嘩と子育ての疲れで変になりそうでした。

        我が家にに来ることも拒否すると また喧嘩になるので断れません

 

そのうちに 母は 父の悪口を毎日毎日 言うようになりました

本当に 聞きたくなくて 私は「聞きたくない!」と怒りましたが

イヤと言うほど父の悪口を 聞かされる毎日でした。 

だから 穏やかで優しい父を 本当に嫌いになってしまいました。

親の悪口は 絶対に子供に言うものでは無い!と私は感じました。

 

そのうちに今度は私の夫の悪口を言うようになりました。

その理由は 私が夫を嫌い、離婚して孫を連れて

    実家に戻って欲しかったからでした。

自分のそばに 娘と孫を置いておきたかったという事です。

それって母さえ良ければ 私の幸せはどうでも良いって感じました!

                      かなりゆがんだ愛です!

数々の母の言動に もう私は耐えられなくなり 話し合っても

また喧嘩になる事は分かっているので

手紙を書き 父に渡し、母に届けてくれるよう頼みました。

 

すると すごい怒った母が 私の所へ来て

結局 私をののしるため 私はどれだけ 傷ついてきたかを言い

母に「一言でいいから 謝って欲しい」と頼みました。

 

すると母は ものすごい激高し 声を震わせながら

「親に謝れとはなんと言う親不孝な娘だ!

 私が死んだら あの手紙を棺桶に入れてもらって

 あんたを呪い殺してやるから!」

そう言われたのでした。

 

私はその瞬間から 母親を親だと思う気持ちが全て崩れて無くなりました

そして 身体中が震え 吐き気がし 息ができないほどの

精神状態と身体の異変を感じました。

 

そして 私は 母の持ち物を見ただけで吐くくらい拒絶反応が起きました

 

それから 数か月後に母が亡くなりました。

通夜・葬儀でも 涙なんて一滴も出ないし 

棺桶の母の顔も見れませんでした。

悲しみなんて全くなかったです。恐怖の方が大きかったから。

 

10年間苦しみました。

辛く苦しく耐え抜いた10年間でした。

その間に 今飼っている前の愛犬を亡くした悲しみもあいまって

余計に ペットロスの悲しみと鬱とで本当に辛かったです。

 

こんなに長い文章なので 言い辛いですが この下の記事に

私の鬱の状態や母や父の事を書いた日記があります。

もし 気が向かれましたら 読んで頂けると有難いです。宜しくお願いします

makae.hatenablog.com

10年経ち 鬱が治り 落ち着いて考える事ができる日々が来ました。

父も 認知症になり うちへ引き取りました。

 

母の あの暴言が本心ではないと感じる事ができる様になりました。

母は気性も荒く 喜怒哀楽が激しく よく笑いよく怒りよく泣く人で

怒ると見境がなくなり 私が一番傷付く言葉を 必ず言う人でした

 

母は たとえ実の親子でも言って良い言葉と悪い言葉があるとは

思っていなかったのです。

 

ただうちに来る時は ほとんど毎日食事を作って持って来てくれました

それは 母の口には出さない 本当の愛情だったのでしょうね!

 

母が亡くなる前の 最後の言葉が 孫(私の息子)に

「ママのいう事をちゃんと聞きなさいね」という言葉でした。

 

母は ちゃんと私を認め 私に愛情があったと分かる言葉でした。

今なら それが理解できます。

 

両親のお位牌の前で 私は毎日両親と話をしてます。

そして ごめんなさいと謝っています。

本当に長い時間がかかりました・・・。

今は心から両親に感謝できるようになりました。

 

 母は亡くなる前の患っている時に 私や孫とも会う事ができず

きっと 本当に寂しい日々を 病院で送っていたんだな~って思うと

母が可哀そうで 涙が出てきます。

こんな風に 母が生きているうちに 心を割って本心を話したかった。

母の料理は 誰よりも美味しいよ!大好きだったよ!

って 言いたかったです。

お母さん 本当に産んでくれてありがとう!育ててくれてありがとう!

これが 私の本心です。 生きてる時に言いたかったです。

 

母は困っている人を見ると 必ず手を差し伸べ助けていたそうです。

それは 母が亡くなってから知りました。

大勢の人が 母に助けてもらったからお礼を言いたいと

お線香をあげに来られましたから。

母は 本当は 優しい良い人だったんだなって思いました。

 

 

このブログだけで初めて話しました。

当然 夫にも息子にも 親しい友達にも誰にも話した事がありません。

 

ただ 誰にも言った事のないことを ひとりでかかえているのが

ものすごく重かったのです。

書いた事によって 心の区切りをつける事ができました。

 

でも ストーカーは捕まっていません。

それだけが一番心配なので 

私がどこの誰かが分かる事は できるだけ書かない様にしてました。

 

なので 自分勝手かもしれませんが

他の ブログをされてる皆様方と違い

読者様が増える事が怖かったのです。

ご理解頂ければと思います。

 

ブログと言っても 普通の日記のつもりで書いていました。

なので これからも

以前の様に 普通に 普通の日記を書きたいと思います。

 

暗い上に ものすごい長い文章を読んで頂き 

本当に本当にありがとうございました。感謝申し上げます。

では。これからもよろしくお願い致します。ありがとうございました。